国の違いと価値観の違い
- Akiko Moriyama
- 2014年4月24日
- 読了時間: 2分
異文化コミュニケーションと聞いて、多くの方は国の文化の違いについて、特にいわゆる外国人とのコミュニケーションを思い浮かべるのではないでしょうか。
中には異文化コミュニケーションはイコール英語(あるいは外国語)が話せることだと思う方も、いらっしゃるかもしれません。
世間で「異文化コミュニケーション」と名のつく研修、ワークショップなどは、ほとんどが他国の人たちとどうつきあうのか、どう働いていくのかに焦点が当てられています。実際に、生まれ育った国が違う人たちと、価値観の違いを超えて仕事をしていくというのは大変なことです。また言語の違いも現実的に立ちはだかる大きな壁の一つです。
しかしながら、人はすべてそれぞれに違うのですから、どんな相手でも実は「異文化」なのだと捉えることもできます。
実際に、国は違えど同じような業種・職種・社会階層の人たちとコミュニケーションを取ることは、言葉の壁さえなんとかできれば、実はそれほど難しいことではないのかと最近感じ始めています。
むしろ同じ国で生まれ育っても、同じ言語、例えば日本語をお互いに話していても、業種・職種・社会階層が違ったり、あるいはある社会的な事象に対する見方や価値観が違ったりする方が、よほどコミュニケーションが難しいのではと実感する出来事が続いています。
たとえば、経済を優先するのか、自然環境を優先するのか、はたまた両方なのか。それぞれの人にそれぞれの考えがあり、違う価値観を持った人たち同士は出会うことも少なければ、面と向かってそれぞれの考えにお互いに耳を傾ける機会など、どれだけあるでしょうか。
異文化コミュニケーションに携わる者としては、国の文化による違いだけでなく、実はこの身近にある価値観の違いに向き合って対話のファシリテーションを行うことこそが、本来求められる一つの役割なのではないかと感じる今日この頃です。
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